西暦
|
元号
|
年齢
|
出来事
|
文学的・交友的出来事
|
1924
|
大13
|
0歳
|
4月13日、岡山に生まれる。父・栄助は作家の吉行エイスケ、母・安久利は美容家の吉行あぐり。 | |
1925
|
大14
|
1歳
|
||
1926
|
大15
|
2歳
|
父母と東京・池尻に転居 | |
1927
|
昭2
|
3歳
|
代々木上原に転居? | |
1928
|
昭3
|
4歳
|
東京・麹町に転居 | |
1929
|
昭4
|
5歳
|
あぐりが麹町に「山ノ手美容院」開く | |
1930
|
昭5
|
6歳
|
番町小学校に入学 | |
1931
|
昭6
|
7歳
|
||
1932
|
昭7
|
8歳
|
||
1933
|
昭8
|
9歳
|
||
1934
|
昭9
|
10歳
|
||
1935
|
昭10
|
11歳
|
||
1936
|
昭11
|
12歳
|
番町小学校を卒業、麻布中学校に入学 | |
1937
|
昭12
|
13歳
|
||
1938
|
昭13
|
14歳
|
||
1939
|
昭14
|
15歳
|
||
1940
|
昭15
|
16歳
|
06月 腸チブスに罹る(隔離病棟へ) 07月 エイスケ急死(狭心症) 10月 エイスケの死を知る 11月 退院し、そのまま休学 |
|
1941
|
昭16
|
17歳
|
4月 復学し5年級に | |
1942
|
昭17
|
18歳
|
3月 麻布中学を卒業 4月 静岡高等学校文科丙類に入学 |
佐賀章生、久保道也と知り合う |
1943
|
昭18
|
19歳
|
2年のはじめ、心臓脚気と偽って休学、帰京 | この頃から文学へ関心を持ち始める。静岡高校仏教授の岡田弘に作品を読んでもらったことを機に氏の死去まで交友が続く |
1944
|
昭19
|
20歳
|
春 岡山で徴兵検査受け甲種合格 4月 2年級文科甲類1組に復学 8月 入隊通知を受け陸軍歩兵二等兵として岡山第十戦隊に入営。入隊3日目に気管支喘息と診断され、奇跡的に4日目に帰郷する。以後、喘息の発作に悩まされ続ける。 |
|
1945
|
昭20
|
21歳
|
3月 静岡高校を卒業 4月 東京帝国大学文学部英文科に入学 この春、再び徴兵検査を受け甲種合格 5月25日 東京大空襲で麹町の自宅が焼失 |
8月 長崎の原爆で親友の久保道也と佐賀章生が死去
|
1946
|
昭21
|
22歳
|
柿の木坂に下宿し通学 家庭教師、女学校講師、新太陽社のアルバイトをする |
3月 終戦と同時に企画した同人雑誌「葦」創刊 7月 「世代」創刊と同時に同人に。いいだもも、小川徹、中村稔、日高晋、村松剛。八木柊一郎、矢牧一宏らと知り合う |
1947
|
昭22
|
23歳
|
7月 第14次「新思潮」の創刊と同時に同人に |
7月 嶋中鵬ニ、中井英夫と知り合う 入社後、雑誌『アンサーズ』(のちに『特集読物』と誌名変更)を編集 |
1948
|
昭23
|
24歳
|
平林文枝と入籍 | |
1949
|
昭24
|
25歳
|
||
1950
|
昭25
|
26歳
|
庄野潤三と知り合う | |
1951
|
昭26
|
27歳
|
||
1952
|
昭27
|
28歳
|
11月 左肺に空洞が見つかり三世社(新太陽社の後身)を休職 | 阿川弘之、石浜恒夫、島尾敏雄、三浦朱門、安岡章太郎らと知り合う |
1953
|
昭28
|
29歳
|
三世社を退社 春~夏 千葉県佐原の病院で療養生活(3ヶ月) 11月 清瀬病院に入院 |
療養生活中、ABC放送の原稿を書く 2月から始まった「一ニ会」(のちの「構想の会」)を通して、遠藤周作、奥野健男、小島信夫、近藤啓太郎、五味康祐、進藤純孝、服部達、日野啓三、結城信一らと知り合う |
1954
|
昭29
|
30歳
|
1月 左肺区域除去手術受ける 5月 原因不明の高熱と喘息発作で重態に 7月 『驟雨』により第31回芥川賞を受賞 10月 清瀬病院退院 |
芥川賞授賞式には病状がおもわしくなく欠席 |
1955
|
昭30
|
31歳
|
病臥の日が続く 文筆で生計を立てる決心をする | |
1956
|
昭31
|
32歳
|
病臥。執筆量1日2~3枚の日々 | |
1957
|
昭32
|
33歳
|
* | 「第三の新人」の悪評が広まる |
1958
|
昭33
|
34歳
|
||
1959
|
昭34
|
35歳
|
大田区北千束へ転居 | |
1960
|
昭35
|
36歳
|
「文学界新人賞」の選考委員に(10回、12~16回、22~30回) | |
1961
|
昭36
|
37歳
|
||
1962
|
昭37
|
38歳
|
仕事をひかえて療養 | 現地取材をして書いた『札幌夫人』仕上げる |
1963
|
昭38
|
39歳
|
能力と体力の許す限り仕事を増やす 5月以降、胃潰瘍に苦しむ |
5月 高見順、山本健吉と広島・九州を講演旅行 9月 有馬頼義と北海道を講演旅行 |
1964
|
昭39
|
40歳
|
8月から宮城まり子と外国旅行(ニューヨーク、パリ、マドリッド、ラスベガス・モナコの賭博場) | 4月 新学期より日本大学芸術学部の講師として「ダダの歴史」を講義 |
1965 |
昭40
|
41歳
|
事故で2回死にかける 背中の手術 |
3月 「風景」の編集責任者に(~41年12月) 11月 『不意の出来事』で第12回新潮社文学賞を受賞 |
1966
|
昭41
|
42歳
|
「文學賞」選考委員に(~42年) | |
1967
|
昭42
|
43歳
|
5月 心身ともに不調 |
3月 『星と月は天の穴』で第17回芸術選奨を受賞 4月 生島治郎、長部日出雄とバンコクに(10日間) |
1968 |
昭43
|
44歳
|
入院と検査を繰り返す 世田谷区上野毛に転居 |
9月 日本航空の招待でバンクーバー、サンフランシスコへ旅行 |
1969
|
昭44
|
45歳
|
||
1970
|
昭45
|
46歳
|
10月 『暗室』で第6回谷崎潤一郎賞を受賞 「太宰治賞」選考委員に(第6~14回) |
|
1971
|
昭46
|
47歳
|
年末より再び心身ともに不調に | |
1972
|
昭47
|
48歳
|
前年に引き続いて心身ともに不調、アレルギー症状悪化。鬱状態。 |
「芥川賞」選考委員に(第66~111回) 「泉鏡花文学賞」選考委員に |
1973
|
昭48
|
49歳
|
11月 快復に向かう | 4月~10月 口述筆記 |
1974
|
昭49
|
50歳
|
4月16日 「四畳半襖の下張」裁判の弁護側証人として東京地裁の法廷に(開高健と) 9月 ボルドーへ8日間旅行(読売新聞社) 新設「川端康成文学賞」の選考委員に(第1~12回) |
|
1975
|
昭50
|
51歳
|
2月 『鞄の中身』で第27回読売文学賞を受賞 | |
1976
|
昭51
|
52歳
|
1月 「風景」の編集責任者となる(2度目) | |
1977
|
昭52
|
53歳
|
||
1978
|
昭53
|
54歳
|
12月 『夕暮れまで』で第31回野間文芸賞を受賞 | |
1979
|
昭54
|
55歳
|
3月 芸術院賞を受賞 五味康祐とロス、サンフランシスコ、リマに旅行(海外講演会の講師として)(文藝春秋) 篠山紀信とヴェニスへ旅行(新潮社) |
|
1980
|
昭55
|
56歳
|
1月 「銀座サロン」のレギュラーに | |
1981
|
昭56
|
57歳
|
11月 日本芸術院会員に 「野間文芸賞」の選考委員に(第33~46回) |
|
1982
|
昭57
|
58歳
|
||
1983
|
昭58
|
59歳
|
||
1984
|
昭59
|
60歳
|
アレルギー悪化、病臥の日が多い 12月 武蔵野日本赤十字病院に入院し右目の白内障手術を受ける(人口水晶体移植) |
|
1985
|
昭60
|
61歳
|
||
1986
|
昭61
|
62歳
|
5月 乾癬発病 | 7月 『人口水晶体』で第2回講談社エッセイ賞を受賞 |
1987
|
昭62
|
63歳
|
12月 左目の白内障手術を受ける 乾癬は少し好転 慢性肝炎 病臥の日が多い |
|
1988
|
昭63
|
64歳
|
肝硬変を患う | |
1989
|
平1
|
65歳
|
入退院を繰り返す(虎ノ門病院に。3ヶ月に6回) | |
1990
|
平2
|
66歳
|
病臥 |
2月 「銀座サロン」を退く
|
1991
|
平3
|
67歳
|
病臥 虎ノ門病院の内科、皮膚科、放射線科、歯科に通院の日々 北原アレルギー診療所、武蔵野日赤病院の眼科にも通院 週2回の往診(注射)受ける |
|
1992
|
平4
|
68歳
|
病臥 肝臓ガンに(肺切除時の輸血によるC型肝炎が原因)、が本人には知らせず |
|
1993
|
平5
|
69歳
|
病臥 入退院を繰り返す |
|
1994
|
平6
|
70歳
|
2月 遺言書を書く 5月9日 虎ノ門病院に入院 6月 医師から肝臓ガンと告知される 7月19日 聖路加病院へ転院 7月26日 宮城まり子に看取られ逝去 |
※年譜の中での敬称は省略させていただいております。