- - - 上野毛 - - -
東京都世田谷区上野毛。東急大井町線の上野毛駅。
1968年、44歳の吉行さんが最後に住居をかまえた場所である。
1994年以前と違う部分がたくさんあるだろう。
けれど、変わっていない、面影を残している部分もたくさんあるはず。
冬のある日、午前から午後に変わる頃。
よれよれ探訪のスタートに、この地を訪れてみた。
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それでは、吉行さんの自宅前に立ったという想定でスタート。
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まず、この写真。吉行邸を背に首を左に向けたときの風景。
坂だ、思いっきり坂だ!
遠近法が使われているかと思うほどの坂。
この急傾斜を登りきり、左に500mほど行った所が上野毛駅である。
この坂を登って、吉行さんはこう呟いた。
街角の・・・煙草屋までの・・・旅。
しかし、登り切った場所に煙草屋はなかった。
一体、何を目標に登ればいいのだ!
そうだ、景色を楽しもう。
そうそう、この坂の途中(左手)にお稲荷さんがある。
吉行邸の10倍ほどの敷地にある、無人のお稲荷さん。
「稲荷坂」の由来は、このお稲荷さんなのだ。
木を眺め、一礼して、坂に戻る。
体を斜めに、地面に刺すような姿勢で一気に坂を登りきる。
振り返ると、こんな具合。
吉行さんの体には、当然こたえたであろう坂。
見様によっては、奈落の底にも?
ブースカが途中でヘタリ込んだのは、車に怯えてか、この坂に圧倒されての出来事か?
自転車で下るのには最適かもしれない。
ただし、車と人の往来がなければ。
気を取り直して進むと少しにぎやかになってくる。
ちらほらと店が見え始める。
一軒目の蕎麦屋。
吉行さんは、ここの蕎麦を食べたのであろうか。
人の出入りが多い。はやっていそうだ。
入りたいという欲求を抑え、さらに駅側へ進み探訪を続ける。
改札へは向かわず、少し駅を越えてみる。
すると、二軒目の蕎麦屋が。
ここだ! ここに違いない! この蕎麦屋だ!
いかにも、といった店構え、古さ、この蕎麦屋に違いない!
そう感じて近づくと・・・なんと閉店状態。
休業の知らせはなく、簾を上げて作業場を見せている。
ご主人の体調でも悪いのだろうか。
今にも蕎麦を打ってくれそうな佇まいなのだが・・・
作業台についた粉が、旨さを保証してくれそうな気がしてきた。
ここは・・・
改めて訪れることを誓い、蕎麦屋を後にする。
さて、少し戻って駅に到着。
隣の二子玉川や、4駅先の自由が丘に比べて人通りが少ない。
やっと自動改札になった、という声を聞いたことがある。
改札を入って突き当たり右手に階段があり、降りるとホームへ。
エスカレーターはない。
住宅街独特の、小さな落ち着いた駅。
駅を越えて、さらに進むと右手にパチンコ屋を発見。
数ヶ月に一度は新装開店をするパチンコ屋が、当時のままのはずがない。
けれど、きっとこの場所にあったパチンコ屋で、吉行さんは玉を弾き、ふと一人になった気分を味わったのだろう。
もちろん、このパチンコ屋へ侵入。
100くらいある台のほとんどが空席であった。
隣に座る夫婦はプロらしき人相で、その勢いに押されつつ2000円分遊ぶ。
どのくらい持ったかは聞かないでいただきたい。
さらに行くと、またひとつ蕎麦屋に遭遇。
その名も「長寿庵」。
店構えは新しいが、吉行さんにとって馴染みの名前「長寿庵」。
寒さに負けて店内へ。
4人がけテーブルが5台。
常連さんが多いのか、入れ代わり立ち代りの繁盛ぶりで合席も目立つ。
ここで、地酒一合と鳥なんばんを注文。
蕎麦が出てくるまでに冷酒をあらかた片付ける。
次は蕎麦にとりかかる。
残りの汁で、最後の一杯をやる。
合計20分前後。
こんな飲み方・食べ方は吉行さんはしないだろう。
そう思いながら勘定をすませて、探訪を続ける。
次は、吉行邸を背に首を右へ向けてみよう。
これまた坂である。
この坂を下っていけば多摩川へ出るはずだ。
自然が多い、吉行邸の付近。
自然といえば五島美術館の借景も頭に浮かぶが、忘れてはならないのが吉行邸の向かいにある上野毛自然公園。
木のベンチとテーブルがある小公園に入り、左の木の階段を登って行くと緑の中へ。
赤いのは紅葉。冬になっても、まだ赤い葉。
さて、多摩川へ出てみよう。
さえぎる物のない青空、鳥の群れが浮かぶ川面、まっすぐ続く白い砂利道。
ゴミもなく、草はほどよく刈られており、人工的ではないのに手が入っているような歩道。
ギターの練習をする青年あり、散歩を楽しむ老夫婦あり。
こんな木も。
ビルとビルの間からは富士山が見える。
「吉行淳之介展」のポスターに使われたのは、草の上に寝転ぶ吉行さんの写真であった。
同じことをしようと思ったが勇気がでなかった。
なぜなら、川向こうには青いビニールがかかったダンボールハウス群。
そこの住人に間違われたくないと思いつつ、
いつかは吉行さんのように寝転んでみるぞと心に決めつつ、
この探訪を終えることにし家路へ急いだ。